愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

2024/08

小説のタイトルは『たくぴとるか』か『天使がいた夏』か

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いま書いている小説の仮題は『たくぴとるか』である。このままでいいと思う。でもこの手の話題でありがちなのが、作者は長期間同じものを見ているから愛着が湧いているが、始めて見る読者はまったく意味が分からないということある。

まず、たくぴ、と、るか、と読めない人がほとんどだと思う。これが『たくやとるか』ならほとんどの人はそう読めるだろうが、たくぴは人名ではなかなか見ないつづりなので、たくぴとるか、と一続きに読んでしまう可能性はある。

だいたい、ぴ、ってなんだ。ギャルしか分からんだろ。たくぴはたくやの"や"が"ぴ"に変わっているのだが作中でもなんの説明もなく”ぴ”になっている。たくやが出てくるところは、たぶん両手の指で数えられるんじゃないかな? 題名もそうだけど作中も不親切だ

でも作中で

たくぴ:だいたい、ぴってなんだよ
るか:たくやがぴになって、たくぴなんだよ

みたいな会話を入れるのダサい。むしろなんの説明もなくたくぴである方が、この世界はそういうものなんだって受け入れられるんじゃないかな? 理屈で考えれば不親切だけれど、もっと読者の知能を信頼するべきだ。と言うのは甘えだろうか?

『たくぴとるか』通じない問題の解決策は読者がイメージしやすい題名にすること。『天使がいた夏』なんてどうだろうかなんて思いついたけれど、こんなの講談社文芸文庫にありそうな前世紀の文学の題名みたいだ。トマス・ウルフの『天使よ故郷を見よ』っぽい。というか題名のイメージはここからパクった。

『たくぴとるか』という文字列の呪術っぽい響きと見た目は気に入っている。おまけに内容もたくぴとるかそのものを表している。ただし、それは中身を知っている人でなければならないという欠点がある。もし神様がいて、この小説を絶対にベストセラーにしてくれるなら『たくぴとるか』にする。しかし、神なしでベストセラーにしたいなら、まず表紙の段階で読者になんらかのイメージを喚起させる必要がある。それなら『天使がいた夏』だ。題名だけで内容は分からないが、夏に天使となにかするんだろうなってのは類推できる。

でもどうしても『たくぴとるか』は捨てられなかったので『天使がいた夏』はサブタイトルにして『たくぴとるか:天使がいた夏』にした。これなら物語の中心たくぴとるかを表して、なおかつ読者にイメージを喚起しやすいはず。よし、新しい小説はこれでいこう。

(おわり)

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手応えは自分が自分に仕掛けた詐欺かもしれない

『たくぴとるか』の仮書きノートからwordへ打ち込んでいる。1日に20ページ打てたらいい方で10ページ以下の日もあって、そんなときは今日は書けなかったなと落ち込む。それはともかくぐちゃぐちゃのノートから文章を抜き出してwordに打ちこむと文章が光って見えるのは不思議だ。まっ、パソコンの画面は本当に光っているんだけどね。

仮書きノートは189ページなので1日に平均15ページとしても14日かかる計算になる。最初の数日はすごく調子の良い日があったら1日で書けちゃうんじゃないかとか思ったり、逆に調子が悪くて数ページしか書けなかった時は一生終わらないって絶望したり、でも長い目で見れば当初の目論見通りに進んでいる。やっぱり執筆って物理法則で動いている気がする。いま主流のLLMがそうなるかは分からないがAIで小説を書く日は必ず来ると思う。その時代ではプロットを数式で書くだろう。私なんかは出る幕ないな。

なんで令和になってもノートと万年筆で執筆しているのか。wordも手書きも書く速さは変わらない。でも、どうせ後でwordに打ちこむなら最初からwordで打ちこめばいいのに。目に見えるところだと2週間の時間をコストとして払っているし、もしかしたら執筆中にも見えないコストを払っている可能性はある。事実、ノートに書くようにしてから刊行ペースは落ちている。

それでもノートに書くようにしてからちゃんと文字や文章をがっちり心の手で使っている感触がある。だからノートに手書きする方が正しいんだ、ってつい数日前まで思っていたのだが”見るだけ整体”という本を読んで、もしかしたらこれは自分で自分をだましているんじゃないかって不安になってきた。



この本を読んで、かなり体の動きが良くなった。良くなっただけでなく動きが軽いのである。こう、なんていうか手応えみたいなものなしに動ける感じ。いままで無駄な力が入りすぎていたのだなって分かった。ということは、もしかしたらノートに手書きしているときに感じている手応えが無駄な動きという可能性もあるわけだ。これを抜くことができたらもっと小説を書けるようになるんじゃないか?

無駄なものを削れっていうのは文章でも同じだ。”手応え”って無駄なんだろうか。それとも実際に文章に貢献しているんだろうか。手書きするサンクコストで貢献していると思い込みたいだけなんじゃないか? 疑おうと思えばいくらでも疑える。逆に手書きからwordに変えた時だってある種の”手応え”で「令和にもなって手書きするやつなんてアホだぜぇ!」となることも考えられる。

手書きの方がいいというネット記事もあれば、変わらないという記事もある。実はPCでも手書きでもなくスマホで書くのが正解かもしれない。そういえばドストエフスキーは口述筆記だな。小説を書くと一口に言ってもいろんな書き方がある。私たちはなにが正解か分からないから、自分がやりたい、あるいはやれる方法で書いていくしかないのだろうな。唯一の救いはどういう書き方をしても、書き続けていればいつか小説は書き終わるということだ。

今週も熱狂と絶望を繰り返しながら『たくぴとるか』をwordに打ちこんでいる。

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令和の米騒動について

毎月お米屋さんにお米を買いに行っている。すでに精米済みの25kgのやつを買う。毎月買うんだからもう配達でいいじゃんと思うのだが、どういうわけかその判断は先送りを繰り返し、いつしか私がお米を買いに行くのが1か月のルーチンになっている。

さて、2024年8月。X上ではお米がないっていう話題がちらほら出ている。大阪の親戚もお米がないと言っていた。でも東京にはお米があるらしい。どうも奇妙だ。Xを何日か見ていると、どうやら一部地域で誰かがお米を買い占めているらしい。お米は1年に1回しか取れないし農家の人も需要をあてにして作るわけだから、誰かが突然買い占めてしまうと足りなくなるというわけだ。なぜこんな奇妙なことが起きたのだろう。

今月お米を買いに行くとお米屋に人がいるので驚いた。普段は私一人か、ごくたまに先客がいるぐらいなのに二人もいた。なにか運よく繁盛でもしたのかなと思いつつ車で待っていると、二人の男は何も買わずにお米屋を出ていく。男二人でお米を買いに来るというのも奇妙だった。兄弟でも友達でもない雰囲気である。あと、こんなことを言うと田舎者みたいだがよそ者っぽい感じがする。どう見てもこのへんに住んでいる感じではない。よそ者と地元の人をどうやって見分けるかは知らないが、中学で別の学区の子たちを見た瞬間のあの感じである。

私が店に入ると、いつも買っているお米がない。毎月買いに来ているから向こうも私の顔をおぼえていて「あぁ~すみません。お米を切らせてしまって」とお米屋さんのおばあちゃんが大きな声を出す。なんでそんなに大きい声を出すんだろうと不思議だった。ちなみにこのお米屋さん、家族で経営していて時々おばあちゃんが店に出てくるのだ。

5kgで4000円とかのやつしかないのでどうしたものかなって迷っていたら、おばあちゃんが外の様子をちらちら見ている。新しく客が来たのかなと思っていると、さっきの二人組の男が米屋をのぞいている。なんだろう? と私が見つめ返すと男たちはあきらめたようにどこかへ行く。

米はまだあるし、最悪パンでも食べればいいので「また来ます」と店を出ると、おばあちゃんが「ほんまにすみません」とあやまりながら外までついてくる。これもおかしい。徳島県で外まで見送りに出るなんてイルローザと車屋ぐらいしか知らない。しかも今回はお米さえ買っていないのだ。

私が車に乗ってもおばあちゃんが私の方になんだかねばっこい視線を向けている。なんだろうと不思議すぎたが、まさか聞いても答えてくれないだろうなとエンジンをかけようとすると、おばあちゃんがコンコンと車のドアを叩く。

「ちょっと裏まで来てもらえる?」

おばあちゃんが突如として奇妙なことを言い出すので頭の中は(??????????)である。個人的に好かれていて、スイカでも食べさせてくれるのかなぁと思って、おばあちゃんの後ろについて店の裏まで行くとお米の袋がいくつも積まれていた。あれ、お米がある????????

おばあちゃんのひそひそ話では米を買い占めている人がいるので、常連の人が買えるように隠しているんだそうだ。私はこの話を聞いた瞬間、年寄りがスマホでyoutubeを見ていたら陰謀論にハマったっていうストーリーが頭をよぎった。去年も今年も冷夏ではないし、去年の台風で田んぼをやられたという話も聞かない。おまけにちょっと道を外れれば、実った稲穂が垂れ下がっている黄金色の田んぼが広がっている。稲刈りももうすぐ始まる(これを書いている時はもう半分近く刈られている)。こんな状況で米を買い占める馬鹿がいるはずない。

だから、おばあちゃんはyoutubeの陰謀論にハマったか、もっと悪ければ頭がボケてしまったのだと私は思った。おばあちゃんは「誰にも言わんといてください」と言ったが、こんなこと話せるわけないだろと私は別の理由で思った。私はお米屋さんの家族に同情して、しかし、すぐさま政治的に正しい表情と態度で「いつものやつ一袋ください」と言った。いつものレジではなく手渡しで一万円札を渡す。お釣りを持ってくるのでお米を車に積んでくれるで?とおばあちゃん。おばあちゃんが出てきた時は私がやるのである。

はてさて、私が車にお米を積むと、ほぼ同時におばあちゃんがお釣りを持ってくる。金額は合っている。おばあちゃんをちらっと見るが、頭はしっかりしているように見える。でも、なんにでも初期症状というのがあるのかもしれない。でも信じられない。あのお米屋さん大丈夫かな……と心配していたのがついこのあいだ。

しかし、数週間後、本当に買い占めが行われていると知ってビックリする。陰謀論でもなく、おばあちゃんの頭がぼけたのでもなく、本当に買い占めはあった。まるで「ラピュタは本当にあったんだ」状態である。

小説を叩く時に、こんなの現実ではありえないというのがあるが、ありえないことは実際に起きるのである。そろそろ新米が出るので、あと数日で売り抜けないと買い占めて儲けようとした人は大損するだろうが、やっちゃったことはやっちゃったことである。大谷翔平は40HR40盗塁しちゃうし、お米なんてそこらへんに実っているのに、お米を買い占めちゃうことだってあるのだ。現実は小説より奇なりである。

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主婦だけどふたたび働こうかどうか迷っている:牛のいぶくろ

こんにちは。私は42歳の主婦です。

20年近く専業主婦として家庭を守ってきましたが、最近、自分の人生について考えることが多くなりました。子供たちも大きくなり、手がかからなくなってきて、何か物足りなさを感じています。自分の可能性をもっと広げたい、社会とつながりたいという思いが日に日に強くなっています。

かといって、今さら仕事を始めるのも不安です。ブランクがあり、スキルもありません。年齢的にも遅すぎるのではないかと躊躇してしまいます。

一方で、「今じゃなかったらいつするの?」という声も心の中で聞こえてきます。何か新しいことを始めたい。でも、何をすればいいのか分かりません。

42歳 専業主婦

牛野小雪

なにかをしたいけどなにをすればいいか分からないんですね

こういうことって自分から動いて状況を動かすことと、周りの状況が動いて自分が動くことのパターンがあると思います。で、たいていの人は後者なんじゃないでしょうか。世の中には自分の人生は自分で選ぶみたいな感じのことが喧伝されているけれど、そもそも自分の人生を選べるほどの人がどれだけいるか分かったものじゃありません。仮にそう自分では思っていたとしても、実際は裏で動かされていたということもあるわけで、世の中そうそううまくいかないんじゃないでしょうか

なにをしたいかわからない、というのは普通のことです。そもそも世間が言うような『意志』をみんなが持っているかあやしいものです。意志がないならやりたいこともないのが当然です。ただそんな人は自分の意志がない人と見なされて軽くみられるので、そんなふうに見せているだけのように私には見えます。

自分がなにをやりたいか分からないのなら、他人がなにをしてほしいのか考えてみるといいかもしれません。なんにもしてほしくないだったら、またメッセージください


メッセージお待ちしています
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