両側に穴がある筒の中にあるエサを棒で突いて外に出せるように猿を学習させて、さらに今度は筒の中に穴を付けて、それを避けられる知能があるかどうかを測る動物実験がある。それによるとある猿は筒の中に棒を突き入れて、中のエサを取ることはできるが、筒の中にある穴を避けてエサを取ることはできないらしい。(ちなみにこの問題は人間だと4歳以上にならないと解けないそうだ)
しかしどんなものにも例外があるもので、ちゃんと穴を避けて取れるようになる猿もいる。何故だろうと考えてある研究者はもしかしたらエサが遠い方の穴から押せば、エサが取れるようになると学習したのかもしれないと仮説して、元の筒で試すと、やはりその猿は仮説通りのエサの取り方をした。猿は穴を認識していなかったのだ。そこでその研究者は『猿は本質を理解することなく解決する能力がある』と結論付けた。
私はこの言葉に非常に力を与えられた。というのも今書いている『ペンギンと太陽(仮題)』はどう考えても自分には荷が重いもので、どうあがいても書き切れないと思い続けていたのだが、それでも何とか書き続けられているのは本質を理解しなくても小説が書けるからではないかと考えた。はっきり言って自分でもどうしてこう書いたのか分からないところがたくさんあるが、何故だか分からないけれど、そう書かなくてはという気持ちで書いたところがいくつかある。えてしてそういうところは書くのが難しいところだ。そんな調子なので、私はもしかしたらとんでもない間違いを犯しているのかもしれないと不安になることはしょっちゅうで、それがために眠れなくなって翌日まったく書けなくなる時もあった。
でも理解しなくても解決できることもある。この小説は私の理解が及ばないところもあるけれど、小説家は小説を理解する者ではなく、書く者だからそれも一つの正解なのかもしれない。
(おわり)
牛野小雪について→牛野小雪のページ
しかしどんなものにも例外があるもので、ちゃんと穴を避けて取れるようになる猿もいる。何故だろうと考えてある研究者はもしかしたらエサが遠い方の穴から押せば、エサが取れるようになると学習したのかもしれないと仮説して、元の筒で試すと、やはりその猿は仮説通りのエサの取り方をした。猿は穴を認識していなかったのだ。そこでその研究者は『猿は本質を理解することなく解決する能力がある』と結論付けた。
私はこの言葉に非常に力を与えられた。というのも今書いている『ペンギンと太陽(仮題)』はどう考えても自分には荷が重いもので、どうあがいても書き切れないと思い続けていたのだが、それでも何とか書き続けられているのは本質を理解しなくても小説が書けるからではないかと考えた。はっきり言って自分でもどうしてこう書いたのか分からないところがたくさんあるが、何故だか分からないけれど、そう書かなくてはという気持ちで書いたところがいくつかある。えてしてそういうところは書くのが難しいところだ。そんな調子なので、私はもしかしたらとんでもない間違いを犯しているのかもしれないと不安になることはしょっちゅうで、それがために眠れなくなって翌日まったく書けなくなる時もあった。
でも理解しなくても解決できることもある。この小説は私の理解が及ばないところもあるけれど、小説家は小説を理解する者ではなく、書く者だからそれも一つの正解なのかもしれない。
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