去年出した『聖者の行進』は最後の章を詩にする案があったが全然物にならなくてあきらめた。今回は作中にいくつか短い詩を入れることにした。一句作るのに時間がかかるが、時間をかければ書けるのだとも分かった。しかし、その気になれば私だって詩を書けるじゃないか、思っていたより簡単なんだ、と本屋でとある詩の雑誌を開くとレベルが違っていたのでビックリ、やっぱり詩を専門に書いている人って凄いんだなぁ。詩と聞いて思い浮かべるようなイメージを逸脱して、それでもなお詩にしてくるんだから半端じゃない。私が詩と思っているのは既にクラシックスタイルで、定期刊行物はモダンスタイルになっている。教科書で読んだ詩をイメージして詩を作るのは時代遅れだ。でも詩は入れる。モダンな詩は現代詩人に任せて私は私の詩を書く。20世紀を持ち込んでやるぞ。
毎年秋になるとやっている気がするが、最近またカフェイン断ちを始めた。というのも去年から今年にかけて全作改稿した時に、カフェイン断ちをしていたところの文章がとても良かったからだ。善は急げとコーヒーをやめると先週は禁断症状で木のねじを無理やり頭蓋骨にねじこまれているような頭痛に苦しめられた。でも今週はぱったりなくなった。だからといって良い物が書けているとは思えない。これは前のカフェイン断ちの時と同じ。やっぱりカフェイン入れた方が良いのかな。コーヒーを飲むとひらめきが降ってくるし、文章もきらめくし。
しかし感覚は信用できない。今はそれほど良い物が書けていないと思っていても、後で振り返れば書けていることもある。一時間1000字も書けていないのに、書けていると思い込んでいることもある。あれっ、それなら詩を入れるのはダメなんじゃないか? でも、この感覚はきっと正しい! だから入れる!
(おわり 2018年11月25日 モボ 記)
※この記事とはあんまり関係ないけど、大正時代の日本が舞台の話に出てくる”モガ”という言葉はモダンガールの略称らしい。今時の若い子みたいな意味。不良とか、性格が悪い人とか、良い意味で使うなら型破りな人という意味だと思っていた。ついでにいうならモダンという言葉も昔風という意味だと思っていたが実際は現代風という意味。それじゃあポストモダンってどういう意味? フューチャーじゃいけないの? それはともかく現代でもモダン焼きは美味しい。











