愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

2013/07

一人暮らしの女性を襲うホラー小説『ドアノッカー』【kindle unlimitedで読めます】

恵は玲美の電話を受け、電話越しにドアをノックする音を聞く
微かな悲鳴とうめき声。それが最後に聞いた彼女の声だった。
玲美が死ぬと今度は恵の耳にドアをノックする音が聞こえ始めた。

試し読み


「私達って女として終わってない?」と(めぐみ)は言った。目の前には(れいみ)一子(かずこ)が座っている。四角いテーブルには、なめろうと一升瓶が置かれていた。
「普通、女が三人集まったらさ。間接照明のおしゃれなお店でワインをたしなみながら、ナイフとフォークで食べるような料理を食べて、上品におしゃべりするんじゃない?」と恵は言った。
 玲美と一子は顔を真っ赤にして、歯を見せながらにやにやしている。お酒が完全にまわっている証拠だ。
「そういうのは夜遊びに慣れていない子が背伸びしてやるもんでしょ。私達ぐらいになるとそういう(かた)(くる)しいことはやめて楽しくやるの」と玲美は言った。
 三人は油が染み付いた黒い看板の居酒屋にいた。女だけで入るにはためらわれるような店だが、半年前に酔った勢いでこの店に入ったのが通うようになったきっかけだ。店内の壁は看板と同じように長年酔っぱらいの酒くさい息を浴びて黒くなっていたが、ちゃんと手入れしているのか、きれいに黒光りしていた。店のおやじはやけに礼儀正しく、出てくる料理は他の店より一段上の美味さなのに値段は一段下の安さだった。あまり繁盛しないのは場所のせいもあるが店の外観が油で黒いことも一役買っているに違いない。
 三人は赤星病院という総合病院で事務の仕事をしている。残業がない職場なので、お金と暇があれば女子会ならぬ飲み会をした。
「おしゃれな女子会に似合うお酒と食べ物って何がある?」
 恵はなめろうをほおばりながら言った。
「やっぱりワインかな、それかシャンパン」と玲美が答えた。「それにおしゃれなお店でチーズフォンデュとかどう?」
「それ古いよ」と一子が言う。
「そうかな?」と玲美がわざとらしく頭をかいた。
「今時の女子会って何を食べるんだろう?」と恵は言った。
「チョコフォンデュ」と玲美がすぐに答えると
「またフォンデュ?」と恵はひやかすように言った。
「バーニャカウダっていうのもあったね。すぐに(すた)れたけれど。三つに共通するのは野菜かフルーツを何かにつけて食べること」と一子が考察した。
「それじゃあ、次も何かにつけて食べるものが話題になるの?」と恵が言った。
「分からないけれど、なめろうフォンデュじゃない?」
 玲美が箸でなめろうをすくって口に入れた。
「無い、無い、無い」と恵は顔の前で手を振った。
「私分かった」と一子が言った。「何かドロッとした液状のものに、食べ物を絡めて食べるものよね。それでおいしいもの」と一子は言葉を切った。恵と玲美は一子の方を見る。
「それは串カツ」と一子が言うと「無い、無い、無い」と恵と玲美は声を揃えた。
「そういえばチョコフォンデュもチーズフォンデュも二度漬けは禁止。串カツも一緒だね」と恵が言うと二人は笑った。
「話は変わるんだけれど、女子会ばっかりやっている人って彼氏がいないイメージじゃない?」
「彼氏がいたら女子会なんてやっている場合じゃないでしょう」と一子は言った。
「二人は彼氏いる?」と玲美。
「それがいないのよ」と恵が言うと「私もいない」と一子も言った。
「玲美は彼氏いるの?」と一子が言うと玲美は含み笑いをした。
「なに隠してるの、変に笑わないで言ってしまいなさい」と恵が問い詰めると「実はね、彼氏がいる」と玲美はあっさり白状した。
「え~、いつから?」と恵は声を上げた。
「三ヶ月前から。友達の期間を入れると五ヶ月かな。病院に彼が来た時に声をかけられた。よくある話で、最初は友達から始まって、落とせそうになったら彼女にするっていうあの手。まぁ、私はそういう手段だって始めから気付いていたけどね」と玲美は鼻を高く上げた。
「どんな仕事をしている人?」
「ドアを売る会社に勤めているんだって。住宅用から、工場、美術館、県庁に売り込むって前に言ってたよ」
「年収ってどれくらいあるんだろ?」
「一番多い時は九百万に届くかどうかで、もうちょっとで一千万に手が届くって言ってた」
「それってすごいよ」
「でも気をつけないといけないよ。年収九百万でも一千万でも、手取りがいくらあるか分からないし、その年収も基本給じゃなくて、半分以上がボーナスなら何かあった時にガクンと落ちちゃうから」と一子。
「だから、話半分で聞いてる。それに口が上手いってところがちょっと信用できないし」と玲美が言うと、少し間が空いた。
「でもね、話は面白いし、背も高くて、何よりいい男なの」と玲美は言って、にやりと笑った。
「ふーん、そうなんだ。彼氏っていえばさ、夜一人でいる時に欲しくならない? 私って一人暮らしだから、襲われたらどうしようかって恐くなる時がある」と恵が言うと「私もある」と一子が言った。「防犯のために見張りをしてくれる人がいると安心して眠れるのになぁ」
「彼氏じゃないけどさ、こういうのがあるよ」
 玲美がケータイを操作して、二人に画面を見せた。画面には丸いプラスチックの物が映っていて、その上にマモルクンと書いてあった。
「これを家に付けておくと、誰かがこれの近くを通った時にケータイにメールが送られてきて、誰かが家の中に侵入しましたって教えてくれるの」
「へえ~、どこで売ってるの?」と恵は言った。
「ここのサイトからでしか買えないみたい」
「値段はどれくらい?」
「五千円。配達は二週間後だけど、時間指定はできるし、代金引換か、銀行振込でお金を払えるから、クレジットカードを使わないで済んで安心だよ」
「まあ、考えておく」
「私は時間指定で夜八時に送ってもらって、お金はその時に払った。設置の仕方は任せて。私でも付けられるように丁寧に教えてもらったから私が付けてあげる」
「彼氏に教えてもらったんでしょ」と一子が言うと、玲美がエヘヘと笑った。
 時計を見るとこの店に来てから一時間半が経っていた。
「私ちょっとトイレに行ってくる」
 恵がそう言うと、一子が「私も」と言ってついてきた。二人でトイレに入ると、玲美も一緒に入ってきた。
 この店のトイレは意外に広くて、男女別になっているし、女子トイレに個室は三つあった。丁度三人で使える。それぞれ別々の部屋に入った。
「そろそろこの店出ない?」と恵は壁越しに言った。
「今飲んでいる焼酎が片付いたらね」と玲美の声が天井から返ってきた。
 三人同時にトイレの水を流して再び席に戻ると、玲美が瓶に残っていた焼酎を三人のコップへついだ。
「さっきトイレに行った時に思い出したんだけど」と玲美が言った。「ちょっと恐い話をしてもいい?」
「急になに」と一子は言った。
「私、呪われているかもしれないんだよね」
 玲美がそう言うと恵と一子の眉が上がった。
「場所はこの店なんだけどね」と玲美は語り始めた。
「私が一人でトイレに行った時にね、トイレに入ると個室は全部空いていたのよ。それで真ん中のトイレに入って用を足していたらドアをノックされたの。コンコンって。だから、入ってま~すって言ったんだけど、またコンコンってノックしてくるの。だから、もう一度、入ってま~すって言った後に気付いたの。隣は空いているのに、どうして私の所を叩くんだろうって。最初はあなたたちのイタズラかと思って、名前を呼んでみたんだけど返事がなくて、すごく恐かった。だけど勇気を出してドアを開けると」玲美はすうっと息を吸った。
「開けたら?」と恵は合いの手を入れた。
「そこには誰もいなかった。・・・・・・恐いでしょ?」
 玲美は焼酎のコップに口をつけた。
「そこそこね」と一子が言った。
「話はまだ終わっていないの」と玲美は続けた。「今度の話はね、自宅の話。トイレでノックがあった後の話」
「またトイレ?」と一子が言った。
「話の腰を折らないで、すぐ終わるんだから」
 玲美がそう言うと、一子は黙って話を聞こうという体勢になった。
「夜の八時ぐらいかな、一人でテレビをつけながらインターネットをしていたら、玄関を叩く音がしたの。その日は誰も呼んでいないし、親が娘の顔を見に来るには遅い時間だし、一体誰なんだろうって思った。変だなって思いながら玄関へ忍び寄って、そっとドアの覗き穴から外を見るとびっくりした。ドアの外には知らない男が立っていて、ドアをノックしているの」
「どんな男だった?」と恵は訊いた。
 玲美は恐怖に襲われたように目を大きくした。
「その男は青い制服を着ていて、その服と色が同じ帽子を目深に被っていた。そして、その手にはダンボールを持っていたの……」と言って玲美は二人を見た。「つまり宅配便の男がいたってわけ」と玲美は言った。
「なにそれ」と一子は焼酎に口をつけた。それを見た玲美はニヤリとした。
 三人はコップに残っていた焼酎を一気に飲み干した。
「宅配便のお兄さんがね。さっき言っていた防犯グッズ。あれを届けてくれたの。時間指定で八時にしていたのを忘れちゃってた」と玲美は言った。
「変な話しないでよ」と恵は言った。
「でもね、時々夜にドアをノックされたりしない?」
「私はないよ」と一子が言った。
「私もない、多分酔っぱらったおじさんが部屋を間違えたんじゃない? 私そういう話聞いたことがある」と恵は言った。
「そうだよね、私もそう思った。でも恐かった。一人暮らしは気楽で良いけど、こういう時は心細くなるんだよね」と玲美は言った。
 三人はそれで腰を上げて店を出た。三人の帰る場所は別々なので店の前で解散した。
 恵は部屋に帰ると玄関の鍵を上下二つあるうちの一つを閉めた。恵の住んでいる部屋はオートロック無しのエレベーター無し。六階建ての築十五年。部屋は四階で玄関に入ると廊下があって、突き当たりが居間とキッチン。その脇に寝室と物置があった。
 ドアには上下二つの鍵とチェーンがついていたが、毎回二つとも閉めるのは面倒なので下の一つだけを使っている。チェーンは一度もかけたことがなかった。この辺りは道路がきれいだし、不良がうろついていることもない。何なら鍵をかけなくても良いのでないかと思うぐらい治安が良かった。
 恵は居間に入ってソファーに倒れ込んだ。明日は休日なので、このまま眠ろうと思っていた。
 恵は携帯電話を出して、玲美が言っていた防犯器具を調べた。マモルクンという名前を思い出したので『防犯器具 マモルクン』と打って検索した。検索ページの一番上にマモルクンと出ていたので、そのサイトを見た。『マモルクンはあなたの代わりに家を見張ります。』と書いてある。
 恵は酔った勢いで画面の下の購入と書いてある場所を押した。代金の支払い方法が、代金引換、銀行振込、クレジットカードの三つの選択肢が出たので、代金引換を選んだ。画面が切り替わると、時間指定便になさいますかと出てきたので、はいを選んだ。ご希望の配達時間を選んでくださいと出てきたので夜八時を選んだ。すると画面が変わり、お買い上げありがとうございました。商品の到着は二週間後の予定になります。という画面になった。
 恵はもう後悔していた。玲美が話さなければ買わなかったのに。支払い方法も配達の時間指定も玲美が話していたのと同じだ。この無駄遣いは玲美のせいだ。

『火星へ行こう君の夢がそこにある』のリリース記事



【火星豆知識】

火星の1日は 24時間37分地球とほぼ同じ長さ。ただし1年の長さは 687日

【内容紹介】

人類初の有人火星飛行に挑む青年、一郎。
無重力の中で宇宙船に乗り込み、地球から遠ざかる彼を待ち受けるのは、壮大な火星への旅。しかし、その冒険はただの科学的ミッションにとどまらない。宇宙の果てでの孤独、広がる無限の静寂の中で一郎は自分自身と向き合う。
地球の喧騒とは切り離されたこの旅路で、一郎が見つけるものは――希望か、それとも絶望か。


この本を読むべき理由(ChatGPT)


火星へ行こう。
なんだそれは。中二病か? あるいはNASAのプロパガンダ?
違う。これは、人生のメタファーだ。

この小説を読む理由? あるとも、ないとも言える。
でも、わたしは読む。
なぜなら、文章が剥き出しだからだ。

どの小説も“洗練”されすぎている。
安全。
滑らか。
無菌室で育てられた子どものような小説が多すぎる。
その点でこれは異常だ。

文体がたまに崩れる。
主語が抜ける。
視点が迷子になる。
でも、そこで書き手が見える。

ああ、ここで作者は苦しんだな。
書けなかった。けど、書いた。
その“あがき”が、いい。

火星が出てくる。
けどそれは、リアルなSFじゃない。
アポロでもないし、イーロン・マスクでもない。

火星とは、逃避であり、希望であり、
絶望の先にチラつく可能性である。

火星へ行こう。
このフレーズを何度も読み返すと
「あれ、これ自殺願望じゃないか?」と思う瞬間がある。

けれど、違う。
ちゃんと生きようとしている。
読めばわかる。
ぐちゃぐちゃな日々を、どれだけ言葉で拾おうとしたかが。

登場人物? それはもう、どうしようもない連中ばかりだ。
夢を語るには遅すぎた。
でも語るしかなかった。

構成は甘い。
伏線は、張っているようで回収されない部分もある。
でもそれがいいんだよ。
人生に伏線回収なんてあるか? なあ。

この本は、読者に優しくない。
たぶん、途中で投げる人もいる。
でも、耐えて、読みきってほしい。
そうすれば、あの一文に出会える。

「あの一文」——それは、
作者があなたの存在を見抜いた瞬間だ。
読んでいるあなたが、なぜ読んでいるか。
それに応えるような言葉が、唐突に落ちてくる。

たった一行のために読む小説って、ある。
それだ、これは。

言い忘れていたが、これは“いい話”ではない。
でも、“本気”ではある。
「書かずにいられなかった」が全部に染みてる。

読み終えたあと、ちょっと疲れる。
でもその疲れが、悪くない。
体内に残る。ザラザラしたまま。

これは火星じゃない。
これは、地球の話だ。
もっと言えば、今、ここにいる、
あなたの話だ。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

試し読み


 星ひとつ見えない暗闇に青白い光に包まれた球体が孤独に浮かんでいる。種子島宇宙センターはもう見えないが、日本列島はまだ見えていた。

 宇宙船が地球を三周しながら航行速度まで加速すると、加速のGが無くなり船内を自由に移動できるようになった。その時に一郎は宇宙船の窓から地球を見たのだ。

 宇宙船はさらに地球を半周すると地球を離れ、火星まで行くことになっていた。人類初の有人火星飛行をするのだ。
 操縦席の赤いランプを点滅していた。

「こちら宇宙管制局。一郎さん、そちらに異常はありませんか?」

 管制局からの電話だった。一郎はイヤホンとマイクを着けていたので通話ボタンを押せばそのまま会話ができた。
「はい、今のところ異常ありません」と一郎は言った。

 五秒ほど間があった。地球にある管制局と距離があるので、電波が届くまでに時間がかかる。

「そうですか、貨物室の点検は終わりましたか? 終わったらまた連絡してください」

「これから確認してきます」

 一郎はそう言ってからしばらく待ったが、イヤホンは静かなままだったので電話を切った。

 操縦室から居住空間へ出た。広さは十畳ほど。

 その居住空間の奥に貨物室がある。廊下は無いのでドアを開けるとすぐに貨物室だった。貨物室のスペースは居住空間より三倍広い。居住室の下にはさらに大きな貨物室がある。

貨物のほとんどは水と食料で占められていた。他には火星で活動するための火星四輪車と、火星で生育実験をするためのバラの苗が十株あった。

 火星四輪車は電気で動く大きなバギー車で、宇宙船の太陽光パネルからバッテリーに充電する。満タンまで充電すれば三時間運転ができる。最高速度は時速二十キロ。

 バラは極地植生技術で作られた砂王と青姫というバラだ。

 砂王は太陽が照りつける砂漠でも育ち、半年間水が無くても枯れない品種で、葉っぱは針のように細くて硬い。白の五枚葉をしている。枝は薄い黄緑色でゴムのように柔らかかった。

 青姫は南極でも育ち、氷点下でも枯れないバラで、枝は深緑に黒を足したような暗い色をしている。そして鉄のように硬い。その枝からうちわみたいに大きな五枚葉が垂れ下がっていた。

 貨物は全て床にひもで縛りつけていた。床には紐をかけるための穴とフックがある。

 一郎は紐がゆるんでいないか確認した。特に火星四輪車は念のために紐を一度解いて結び直した。火星四輪車は貨物の中でも特に重いので壁にぶつかれば、宇宙船に穴を開けてしまう恐れがある。

 一郎が運転室に戻ると地球は夜に変わっていた。地上には人工的な黄色い光がクモの巣状に広がっている。

「貨物室の点検終わりました」

 一郎は管制局に電話をした。

「ごくろうさまでした、これから船は火星に向かうコースを取ります」と返事があった。

 船の進行方向が変わり操縦席から地球が見えなくなる。その代わりに今度は月が見えた。

 宇宙船には三台のノートパソコンがある。それを使って地球の管制局とメールのやり取りをする。インターネットも使えた。液晶テレビが一台あって、それで衛星放送を観ることもできた。カメラもあるが、一郎は地球を撮り忘れた事に気付いた。火星から帰ってくる時には忘れないようにしなければならない。

 紙の本は重量があるので持ってくることはできなかったが、電子書籍端末は持ちこめた。地球を出発する前になるべくたくさん本のデータを入れておいた。壊れた時のために同じ物を二つ持ってきている。あとは携帯ゲーム機。これも同じ物を二つ。

 一郎は居住空間に戻ると、本を読んだりゲームをしたりして時間を過ごした。

窓の外を見る度に月は大きくなり、やがて視界から消えた。

管制局から電話がきた。

「月を越えました。ここから先はまだ誰も行った事がない世界です。いってらっしゃい」

「それじゃあ、いってきます」

 一郎はそう言って電話を切った。目の前には黒い空間が見えているだけで火星はまだ見えない。

 時計を見ると地球時間で十九時になっていた。宇宙船には時計が二つある。青と赤のアナログ時計。青の時計は地球時間を表していて二十四まで数字が刻まれている。赤の時計は火星時間を表していて、二十五まで数字が刻まれている。二十四と二十五の間は他の数字より間隔が狭い。

 お腹が空いたので晩ごはんにした。貨物室から、きつねうどん、おにぎり、それとほうじ茶を持ってきた。

 きつねうどんはパック詰めされていて、レンジで温めて食べる。温めなくても食べることはできるが、あまりおいしくない。だしは地球で食べていた物と違い、粘り気があって粉っぽい。そして、うどんに絡む程度の量しかなかった。粘り気があるのは宇宙でだしを飲みこぼしても水分が四方八方に飛ぶことないようにするためだ。

 食べ物はうどんの他にもラーメン、カレー、肉じゃが、みそ汁、豚汁、たこ焼き、梅干し、白米、炊き込みごはん。とにかくスーパーで缶詰やレトルト食品として売られている物はたいていあった。汁物は全て粘り気がついていて粉っぽい。

 食後はほうじ茶をレンジで温めて飲んだ。これもパック入りでストローを使って飲む。

 それから歯を磨いた。宇宙で水は貴重品だ。歯ブラシではなくガムを噛んで磨く。宇宙用に作られた噛み歯磨きだった。最初はカチカチと音が鳴るほど硬いが、噛み続けているうちにガムは柔らかくなり、徐々に小さくなっていく。最後は飲み込んで終わり。

 ネット掲示板で人類初の有人火星行きの話題を探すと、一日で読みきれない量の書き込みがあった。三時間ほど掲示板を読んでいると、一郎は疲れたので眠ることにした。読み終わっていないところはパソコンにコピーして保存した。

 ベッドに入るとゴム製のベルトで体をベッドに固定した。宇宙だと体が浮いてあいまいな空間に投げ出された感じがする。

 部屋の明かりを消して、豆電球に変えた。初めての宇宙で眠れないと思っていたが、一郎は五分もしない内に眠り、眠ったと思ったらすぐに目が覚めた。宇宙では昼も夜も無いが、青い時計を見ると六時になっていた。地球ではもう明るい時間だ。一郎は窓の外に目を向けると暗い宇宙空間が見えた。

 朝ごはんのおにぎりとみそ汁を食べて、歯磨きも終えると、管制局に電話をした。

「おはようございます。定時(ていじ)連絡をします。火星はまだ見えません。異常も無しです」

 毎朝十時は管制局に連絡をすることになっていた。三分ほど待つと返事がきた。

「おはようございます。船は火星のコースを順調に進んでいます。良い一日を」

 地球から離れたので電波が届くまでに時間がある。火星まで行くと、地球と通信するに一時間もかかると聞いていた。

 一郎は居住空間に戻ると、ネット掲示板で自分のことが書かれていないか検索した。一回クリックして画面が切り替わるのに三分もかかった。今日も書き込みはあったが、三時間で読み終えた。一郎の事は、他の話題が埋め始めていた。

 昼ごはんを食べ終えると管制局から電話があった。電話に出て十分ほど無言のままだった。

「地球から距離が離れたので、これからの連絡をメールに切り替えます」

 電話から管制局からの声が聞こえた。

「はい、分かりました」

 一郎が電話を切ってから五分ほど経つとパソコンにメールが届いた。

〈メール確認です。このメールはそちらへ届いていますか? 届いていたら返信をしてください。〉

 一郎は返信の内容を考えたが気の効いた事が思い浮かばなかったので

〈メールは届きました。ちゃんと届いています。〉とだけ書いて送った。それから十分が経った。

〈返信を受け取りました。メールの送受信に問題はありません。確認を終わります。〉と管制局から返信がきた。

 これで一郎がすることは何も無かった。船は自動操縦なので勝手に火星まで飛んでいく。これから三十日間、一郎がやらなければならない事は火星に着くまでの時間を一人で過ごすことだ。といっても火星に行けば誰かが待っているわけではないので結局はずっと一人のままだ。

 火星に一年近く滞在し、十五日の日数で帰還する予定だった。帰りの日数が短いのは地球と火星の距離が一番近い時期に合わせているからだ。

 地球時間で夜になったのでベッドに入った。なかなか眠れないので、一郎は何故火星へ行くことになったのか思い出していた。


一年前に宇宙飛行士を募集する広告が、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、インターネット、あらゆる媒体で流された。『火星へ行こう、君の夢がそこにある』というのが宣伝文句だ。企画したのは火星開発公団という組織だ。

 募集要項には採用人数一人。仕事内容は人類初の火星到達、火星での簡単な実験と調査、そして火星からの帰還。健康な心と体を持つ人材を求む、と書いてあり、火星から帰還すれば報奨金一億円と書いてあった。さらにその後ろにカッコ付きで(この報奨金に税金はかかりません)と付け加えられていた。

 一郎は大学を卒業してから一年経つが、まだ一度も働いたことがなく、何をするでもなく日を過ごしていた。歳が二つ上の兄二郎も無職で三年間職についていない。さらに二歳上の長男三郎だけが兄弟でただ一人働いている。職業は植木職人だ。木を植えるより枝を切る事が多いので、枝切り職人の方が実態に合っているよと言っていた。

 ニュースでは三十五歳以下の失業率は五十%を超えて二人に一人が無職だと言っていた。討論番組では就職活動をあきらめた人を加えれば、六割強の若者が職に就いていないと言っていた。それが本当なら三人の内二人が無職ということで、一郎の兄弟がそのまま当てはまった。

 そんなある日、兄の二郎が、火星行きの募集試験を受けるから、お前も試験を受けろ、と一郎に募集のパンフレットを押しつけた。

 募集要項には身長百七十五センチ以下、体重七十キロ未満と書いてあった。大学に通っていた頃の一郎は、身長が百六十八センチ、体重は五十六キロと小柄な体型だった。

 パンフレットの続きには、年齢不問、学歴不問、犯罪歴無し、虫歯無し、病歴無しの人材を求む、と書いてあった。一郎は一応大学を出ているがこの試験では問題ないらしい。犯罪歴は当然無かった。大人しいというより気が弱い性格なので犯罪どころかケンカらしいケンカもしたことがない。

 母は歯磨きにうるさく、小さい頃から寝る前に五分以上歯を磨かせたので虫歯は一本もなかった。入院するような病気もしたことが無い。数年に一度風邪をひくかどうかだ。

 宇宙飛行士募集の試験内容は書類審査と健康診断をした後、さいころで八人に絞り、百日間の架空閉鎖実験を行う。閉鎖実験の合格者が二人以上出れば、もう一度さいころを振って一人に絞ると書いてあった。何故さいころで決めるのかは下の方に『私達は運がある人を求めます』と書いてあった。

 こんな怪しげな計画に一郎は気が乗らなかったが、二郎から一緒に試験を受けろと何度も言われ続けているうちに受けると言ってしまった。

 それから二週間経つと、二郎が一郎の部屋に入ってきて、火星開発公団と書かれた封筒を目の前に置いた。宛名は一郎だった。

 一郎が封筒の中を見ると、書類審査は合格。二週間後に、赤星病院で健康診断を受けてくださいと書いてあった。紹介状も入っている。二郎はそれを脇から見て、お前も受かったなと言った。

 健康診断の日、二郎と一緒に赤星病院へ行くと一郎と歳が同じくらいの人が百人ぐらいいた。みんな一郎より頭が良さそうで、元気に満ち溢れていたので、一郎は落としてもらえそうだった。

 病院の受付で紹介状を渡すと診察室の前に並んだ。この中なら俺が一番だな、全員倒せそうだ、と二郎が耳元でささやいた。試験者全員で戦うわけではないが、確かに二郎なら勝てそうな人ばかりだった。一郎は、もう一度並んでいる人達の顔を見たが、自分は誰にも勝てないだろうという後ろ向きの自信があった。

 過去に大きな病気をしたことがあるか、何か薬を飲んでいるのかと医者に訊かれ、胸に聴診器を当てられた。そのあと身長と体重を測った。尿検査と血液検査もした。心理テストを受けて、最後に歯の検診があり、虫歯無しと診断され、二時間もしないうちに健康診断は終わった。

 それから五日後に二郎は一郎の部屋に火星開発公団からの封筒を持ってきた。中を見ると、健康診断で異常は見つからなかったので、一週間後の架空閉鎖実験に参加するようにと書いてあった。

 二郎も封筒の中身を見せてくれた。やはり同じ内容で一週間後に架空閉鎖実験を受けるようにと書かれていた。

 翌日、夕飯が終わって一息ついた頃、二郎が一郎と一緒に火星行きの試験を受けることを両親に話した。父も母も突然のことで、しばらく言葉を発せずにいた。

 最初に口を開いたのは母だった。母は親をだましていたことについて怒った。


 母が半時間怒り続けて一息つくと、二郎は口を開いた。俺も一郎も就職してない、これから先できるかどうかも分からない。このままくすぶっているよりは火星に行って大きく出たい。それに火星から戻ってくれば、あいつは火星に行ってきたと言われて、どこへ行っても名前が通るようになる。そうすれば良い職も見つかるかもしれない、と言った。

 一郎もそう思っているのか、と母が訊いてきた。一郎は火星に行きたくないかもしれないと言おうとしたが、一郎もそう思っていると二郎が一郎の代わりに答えてしまった。間を置かず、それにもう試験を受けることは決まっているのだと火星開発公団からの手紙を母に見せた。

 母はそれを何度も読み返すと、勝手にすればいいと言い捨てて、足を踏み鳴らしながら寝室へ行って、勢いよくドアを閉めた。その音は家全体を揺らした。

 父はそんなにしてまで行きたいのなら勝手にしろと言って、それからは口を開かなかった。二郎は勝手にするよと言って横を向いた。家族全員が気まずい雰囲気になった。それは架空閉鎖実験の日まで続いた。

(つづきは本編で)

『火星へ行こう君の夢がそこにある』
火星行きのパイロットを募集する広告があらゆる媒体で流された。帰還すれば報奨金一億円。
兄の次郎が勝手に応募書類を送ってしまったので一郎はテストを受けることになった。
彼は試験を落ちるつもりで受けたのだが、何故か受かってしまったので一人で火星へ行くことになる。
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