ブレイキングダウンをモデルにしたイリーガルな闘技場でボクサーが勝ち上がっていくストーリー。ブレイキングダウンを知らない人に解説すると1分1ラウンドだけの超短時間の格闘技であり、年末にTBSでやっているボクシングが3分12ラウンド制と考えると試合時間は36分の1とかなり短い。『無敵の人』の舞台は3分1ラウンドだけどね。

 シバターをモデルしたっぽい主人公オバターだが別にボクシングをしたいわけでもなく、本当はyoutuberになりたかったような男で、才能はあるが自分の存在を賭けてまで練習するタイプでもないので、才能あるしも努力もする人間のステージには入れないタイプ。ちなみに元ネタのシバターは炎上youtuberのはしりだが、わりと強いし、魅せ方を分かっている。

 最初は亀みたいにガード固めて、下がって、一方的な展開なのでしょせんはyoutuberか‥‥‥と思わせておいてからの反撃→首絞めで勝っている。仮に台本があったとしても華のある試合だったので満足感あり。

『無敵の人』に台本はないが主催者側が『魅せ』を意識して理不尽なルールを途中で付け加えるので、リングにいる人間がそれにツッコミを入れる場面がある。この小説の登場人物はみんな誰かの台本の上に生きている。主人公のオバターは父親の「息子をボクサーにする」という台本で育ったし、彼も対戦相手もMSC3Fという舞台で踊っているにすぎず、主役か脇役の違いしかない。台本を書くのは彼らではなく、いつも彼ら以外だ。

 タイトルの元ネタである無敵の人がなぜ無敵であるのか。ニュースで報じられる彼らは誰一人として範馬勇次郎みたいに圧倒的な暴力を持っていない。むしろリングの上で被害者とゴングを鳴らして戦えば逆に倒されそうな人たちだ。みんな社会の『普通』という台本からこぼれ落ちた人たちであり、何にも縛られていないゆえに無敵性を持っている。社会的にも経済的にも資本がないので法律による罰則は抑止力にならない。実態はどうあれ、そう認識されているのが『無敵の人』だ

 あらゆる意味で台本からの逸脱を無敵とするならば、主人公のオバターはタイトル通り台本からこぼれ落ちるというよりは自傷行為のように無敵への道を進む。表面的にはボクサーとしての成り上がりを目指していたが、本質的にはそれを破壊することがオバターが求めたことだ。だから業界の常識に反してトレーナーの言うことも聞かない。だからボクサーとして成り上がれない。

 とはいえ『無敵の人』という言葉自体が新しい台本ではないだろうか。無敵の人も本当に求めているのは目の前にあるのとは別の台本なのかもしれない。オバターはこの小説の登場人物であり、月狂四郎という小説家の台本を生きている。どれだけ台本を破壊しても新しい台本が提供される。小説であるかぎりストーリーは破綻しない。小説の登場人物にかぎらず現実に生きる私達でさえ何者にも縛られない自由が存在しているとは信じられない。『自由』に生きている人は『普通』ではないけれど『自由』の台本に沿って生きているように見える。そう考えると本当の意味で『無敵の人』は存在するのだろうか?

無敵の人
月狂四郎
2023-01-26






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